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長く暗い虐待の日々はそうして始まった。
少なくとも七日に一度、多い時で毎日、父は生贄を求めた。
たいてい陽が傾き始める暖かな午後、人々がくつろぎを求める時刻。父は休憩を取る代わりに息子の部屋を訪れる。そして抵抗の声すら上げられない息子の両腕をつかみ廊下を引きずって行く。
きっかけなどない。もちろん僕のほうに親から叱られるような落ち度もない。
ただ彼は虫の居所が悪いか、退屈しているか、あるいは欲望にかられたかして、とっておきの玩具で憂さを晴らそうと思いつくだけなのだ。
いつその時が訪れるのか僕には読むことが出来ない。
予測不能な恐怖を僕は毎日、“皇帝の間”で震えながら待っていた。
そして迎えが来た後は儀式を耐え忍ぶだけだ。終わりをひたすら待ち望んで。
父は自分の寝室に閉じ込めた生贄の腕をまず寝台に縛める手順から始める。
それから夕刻まで、時には明け方まで暴力を愉しむ。
殴る、殴る、殴る。
とめどなく、殴る。
始め平手で、時に拳で。
僕の皮膚はあっさり裂けて血が流れる。
敷布は、いつも血で濡れた。
それでも僕が死ぬことはなかった。父は必ず手加減をしていたからだ。
彼の目的は子を殺すことではない。血を見ることだった。苦痛を与えることだった。
苦痛ゆえに卑屈に落ち、従順に変わる我が子を眺めることだ。
最後に欲を満たす行為に及ぶとき、彼にとって暴力は、甘美な悦びを増すための最高の添え物となった。
――不思議なことに僕はこの光景を少し離れた視点で眺めている。
虐待が繰り広げられている寝台を、やや斜め上の角度から見ているのだ。
ちょうど空中に浮いて自分の体を眺めていることになる。そのために苦しみを直接に味わうことはない。離れた体から、痛かった、苦しかったという感想を受け取るのみだ。
これは何かの勘違いなのだろうか。
この記憶を思い出している今の自分が、苦痛を味わうことを拒絶して視点を体から離しているのか?
否、当時からすでに僕は自分の体を突き放していたと感じる。
つまり半ば死んでいる状態でその当時を過ごしていたように思う。生きながらにして死体となり、父の暴力を受け入れる器となったのだった。
ユィンはもはや何も言わなかった。無論、教育のためなどではないと始めから気付いていたが。
他の廷臣たちも虐待を知っていながら何も言えなかった。
皆の見ている前で彼らの“皇帝”は貪り喰われ続けた。
誰も僕を救えなかった。
また救って欲しいとも思っていなかった。
犠牲となることは有意義だと信じていた。そんなことでしか自分は他人を救えないと。
実際、父は僕への暴力に溺れることで戦争を忘れた。この間、短い期間でしかなかっただろうが、国は父の独裁から解放された。戦いはやみ、弱りきった民は息をつくことが出来た。
「おとう……さま」
殴られている最中、不意に意識が戻ることがあった。
この日も意識が戻り下から父を見た。
自分の身に馬乗りになり、腕を振り下ろし続けている父の恐ろしい顔がはっきりと見えた。その顔は興奮で赤く染まり、瞳は大きく見開かれ、口元は愉悦で歪んでいた。腕が振り下ろされるたび彼の振り乱した髪から汗が降る。
何故、あんな顔をしているのだろうと僕は思った。
もう人間ですらない。獣に成り果てた顔。
その獣は泣いているようにも見える。
何がそんなに悲しいのか、ただ純粋に不思議で僕は呼びかけたのだ。
「ああ。おとう、さま」
苦しみの下から必死に呼び続けると、殴りつける腕がひととき止まった。
いつも静かに耐えている子供が悲痛な声を上げたので、さすがの彼も気になって耳を傾けたのだろう。
「なんだ」
「お父様……。あなたは何故このようなことをされるのですか?」
すると一瞬だけ彼に冷静が戻った。
当たり前過ぎる問いを不意打ちに浴びて彼は隠しようのない羞恥(しゅうち)を顔に表す。
ユィンへ答えたように“教育のため”等という嘘をつく余裕はなかったらしい。さっと顔を赤くしたかと思うと、
「お前が悪いのだ」
と呟いて前よりいっそう強い力で殴りつけて来た。
殴りながら繰り返し、繰り返し、
「何もかもお前が悪い。
レアを壊したお前が。
全てを台無しにしたお前が。
言うことを聞かないお前が。
俺を裏切ったお前が。
心から俺の物に、ならなかったお前が……」
涙が流れた。
父は僕を愛していたのだった。
憐れな父よ。
愛を叶えることが出来なかった人よ。
叶わなかったがために腐り果てた愛を、怒りとしてぶつけていけば、いずれ相手が改心して自分を愛してくれると思っていたのか?
あなたをその暗い場所へ追い込んだのは、最終的には僕かもしれない。
あなたの愛は絶望だった。
僕のほうは遂にあなたを愛することが出来なかった。子が親を想う暖かい情はおろか、こうして屈辱の記憶を再生しても怒りの気持ちさえ湧かない。憎しみも。
憎しみさえも……!
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掲載2008年3月18日 著者 k.yoshino(吉野圭)
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