Dear.2  


 健治の引く自転車のからからという音が夜の街に響く。街灯の下を通る二人の影が浮かび上がり、長く伸びた。
「いいもの見たね」
「まだ耳痛い」
 覚めない興奮で頬が火照っていた。花火の残像が目にちらつく。
 街のはずれで部員の皆と別れた後、晶と健治は自転車を降りて家までの長い道を歩いた。火照った頬を夜風で冷ますつもりでもあったけれど、本当は二人の時間をもう少し共有したかった。学校へ戻ればまた話せなくなる。この時間を延ばしたくて、どちらからともなく自転車を降りたのだった。
「遅くなっちゃったな」
 自転車をゆっくり引いて歩きながら健治が呟いた。
「大丈夫、さっき親に電話しといたから」
「怒られないかな」
「健治と一緒って言ったら安心してたよ」
「そっか」
 健治は息を吐き、星のない仄青い夜空を仰いで言った。
「俺って安心されてんのな」
「そりゃあそうだよ。だって、健治だもん」
 晶が明るい笑い声を立てると、健治は視線を空から晶に戻した。一つ瞬きする。それから前を向いて無言で歩き出した。
 急に黙った健治を不思議に思って晶が彼の横顔を覗き込んだ。健治は顔を伏せ、思い出したように言った。
「なあ、今日一緒に行った連中が、お前のこと“可愛い”って言ってたよ」
「まさかぁ」
「本当だって。奴らのテンション上がってたろ、気付かなかった? 無茶苦茶、お前のこと聞かれたよ。参った」
「……ふうん」
 晶には間抜けな返答しか出来なかった。何と答えたらいいか分からなかった。とうていそんな話は信じられない。小さい頃から男の子と遊び回っていた自分が、彼らの恋愛対象になるなんて想像したこともなかった。第一、恋愛なんてまだ自分には似合わないと思っていた。
 健治は一人で喋り続ける。
「タメ(同年)で近藤って奴いただろ。茶髪の奴。あいつ、お前のこと気に入ったらしくてさ。出来れば付き合いたいって。どう? お前さえ良ければ俺がデートとかセッティングするけど」
 二人は丁字路の前で同時に立ち止まった。
 その丁字路はお互いの家へ分かれる道だった。晶は黙り健治も黙ってうつむいた。
「いいわけ、ないじゃん」
 晶がぽつんと言った。その声が怒りを含んでいたので健治は驚き顔で訊いた。
「なんで」
「だって、初めて会った人だし」
「これから知っていけばいいじゃんか。一緒に遊び行ったりしてさ」
 晶はうつむいたまま首を横に振る。
「無理だよ。だって……そういうことって、私、よく分かんないんだ」
「そういうこと?」
「恋愛のこと。私にはよく分かんない。デートって何すればいいか分かんないし」
 ほっとした顔で健治は笑い出した。笑う健治を見て晶は彼を睨んだ。
「なに」
「いや。やっぱ、アキだなあと思って。アキだから、仕方ないよな」
「どういう意味」
 晶は怒った顔をしていつもの台詞を口にする。どういう意味なのかは分かっている。お前は女じゃないとか、色気がないとか、仲間内で繰り返される悪口に晶はいつも怒って見せる。だがそれは怒った振りをしているだけで、本当は少しくすぐったい。悪口を平気で言い合える距離のなさが嬉しいのだった。けれど悪口を平気で受け取るのは晶くらいなもので、端で聞いている女子の友達は「ヒドい言い方」と怒るのだが。
「とにかく。恋愛ってよく分かんないから、私は友達がいれば充分」
 晶は真顔になって言った。
「健治がいれば充分なんだよ」
 晶の言葉を聞いた健治は一瞬だけ笑顔を消した。「充分か」呟いてから、笑う。
「うん、まあ俺も。とりあえず、今んとこ友達いればいいかな」
 じゃあ近藤には断っとくよ、と言って健治は背中を向けた。自転車にまたがり、振り返らずに片手だけ上げる。
「バイ」
 晶も反射的に手を上げて答える。
「バイ。また明日」
 かつん、とギヤが鳴って自転車が勢い良く漕ぎ出された。街灯の光の下から闇へ自転車は紛れる。健治のジャージの白いラインだけがしばらく闇の中でも浮いていたが、すぐそれも見えなくなった。
 晶は中途半端に手を上げたまま健治の消えた道を見つめた。
 “バイ。また明日”
 小学校の頃から仲間同士で続けて来た別れの挨拶。でも、“また明日”の台詞は、いつまで使えるのだろう。

 
 あと半年もすれば受験して、中学も卒業しなければならない。同じクラスの友達も幼馴染たちも、皆ばらばらに別れて行く。健治にはどこの高校を受験するかまだ訊いていないけれど、たぶん自分とは違う高校に行く。学校に行きさえすれば顔が見られる今までとは違う。だから、“また明日”と言うのはきっと難しくなる。
 それでも晶は健治と友達でいられると思っていた。“また明日”は難しくても、“また今度”と言うことはいつまでも出来るはず。心から、信じていた。

 



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執筆2008年7月19日 改稿8月8日 著者 k.yoshino(吉野圭)